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時代と貨幣1 漱石紀行文集

時代と貨幣

夏目漱石は明治から大正にかけて活躍しました。
東京に生まれ、明治26年に帝国大学(現在の東京大学)を卒業後、英語教師として赴任します。明治33年に文部省の命で英国に留学し、帰国後、大学講師となりました。明治38年から『吾輩は猫である』を連載し、『坊つちやん』を発表後、明治40年に東京朝日新聞に入社。胃病に苦しみながら職業作家として活躍後、大正5年に亡くなります。

「漱石紀行文集」には明治34年から大正元年に書かれた紀行文が掲載されています。

明治34(1901)年

明治33(1900)年5月に漱石は文部省より命を受け2年間英国ロンドンに留学することになりました。明治34(1901)年にロンドンより正岡子規・高浜虚子宛てに書かれた書簡より雑誌に掲載されたのが「倫敦消息」です。留学資金が少なく下宿先を転々とした貧乏生活だったそうです。

「自転車日記」は明治36年の帰京後に書かれたもので、明治34年7月からの最後の下宿先での出来事です。乗りたくもない自転車練習に苦労した様です。

英国では1901年1月22日にビクトリア女王が崩御し、エドワード7世の治世でした。

1901年銘 英国貿易銀

明治42年

明治42(1909)年に漱石は、南満洲鉄道株式会社総裁の中村是公の誘いに応じて大連、旅順、奉天などを旅しました。中村是公(よしこと)は漱石の親友で是公(ぜこう)と呼ばれていました。その紀行文が「満韓ところどころ」で明治42年10月21日から12月30日まで東京朝日新聞に連載されました。

南満洲鉄道株式会社は日露戦争後のポーツマス条約によりロシアより引き継いだ鉄道の運営のために設立された会社です。旅順・大連はロシアから日本が租借権を引き継いでいます。

途中から旧友で畜産学者の橋本左五郎と一緒になり、漱石は胃の痛みに苦しみながら旅をしますが、行く先々で食事に招待されてしまいます。

最終回は撫順炭鉱で坑道の先に進もうとしたところで、もう大晦日だとの理由で唐突に連載が終了されます。これは10月26日に伊藤博文が哈爾賓(ハルビン)で暗殺されたことをはじめ大きな報道が続き3面が使えず休載が頻発したことと、事件の起きた満洲での平和な旅の様子を掲載しづらかったことが理由のようです。

明治42年銘 旭日20銭銀貨

明治45年

明治45(1912)年7月30日に明治天皇の崩御が宮内省より発表され即日大正元年となりました。「初秋の一日」は大正元年9月13日の大喪の礼の2日前に夏目漱石が満鉄総裁の中村是公、理事の犬塚信太郎と共に鎌倉・東慶寺の釈宗演を訪問したときの文章です。初秋の情景が物悲しい印象の作品で最後に御大喪の日に乃木大将の殉死があったことがわかります。

釈宗演は西洋に初めて禅(ZEN)を伝えた日本人と言われています。上記の作品の日に満洲巡錫を依頼され実際に大正元年に約一か月巡錫しています。米国ルーズベルト大統領とも面会した国際派の僧侶です。

乃木大将は戦後の小説やドラマで愚将として描かれていますが、明治時代では末端の兵卒と寝食を共にし、日露戦争後も負傷兵や遺族に寄り添うなど日本国民の尊敬を集めていました。御大喪の日の夜8時に夫婦で自刃しています。

明治45年銘 1圓銀貨

あとがき

夏目漱石は昭和59(1984)年から平成16(2004)年まで発行された千円札(日本銀行券D号1,000円)の肖像に採用されました。
発行枚数が多く、記号色が黒、青、褐色、緑と4色あり、銘板も大蔵省、財務省、国立印刷局と3種類あります。

【参考】漱石紀行文集 藤井淑禎編 岩波文庫
満韓ところどころ 明治42(1909)年
倫敦消息 明治34(1901)年
自転車日記 明治35(1902)年秋(明治36(1903)年発表)
京に着ける夕 明治40(1907)年
入社の辞 明治40(1907)年
元旦 明治43(1910)年
病院の春 明治44(1911)年
余と万年筆 明治45(1912)年6月30日 
初秋の一日 大正元(1912)年9月11日
※夏目漱石の作品は著作権保護期間が過ぎておりネット上で読書可能です。

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